かしまし ~ガール・ミーツ・ガール~第十二話 「やがて恋がはじまる」
テレビ大阪 2006/03/30(Thu) 02:05-02:35(JST)
はずむ 「ぼくは、心のどこかで、女の子同士だからって甘く考えてたのかも。そのせいで二人を…」
この台詞に、この作品のひとつのコンセプトが現れてますね…。
考えてみればこの作品は、極めてオーソドックスな、陳腐とすら言える三角関係物でした。
主人公が女の子になって女の子同士の三角関係とか、そういう突飛な設定は実はフェイクに過ぎなかったのかも知れない。
じゃあ、この設定が活かされていなかったかというとそうとも思わないんですよ。最初から「これは普通の三角関係物ですよ」と言ってしまうと、もう終りが見えてしまいます。だから「女の子なら大丈夫かも」「友達としてならやり直せるかも」という期待をちらつかせて、そして叩き落とす(苦笑)。
私もはずむややす菜と同じく淡い期待を抱いて裏切られたクチですから、なかなかにサスペンスを楽しませて頂きました。
ちょっとタイミングを逸したというか、放送から一週間以上経ってしまったので、あまり細かいストーリーとか追っかけての感想は省略します。
なんというか、往年の名作『魔法の妖精ペルシャ』の最終回を思い出したのは私だけでしょうか。
寂しさという感情を心にしまって、最後は一緒に、楽しく一日を過ごそう…。でも最後の最後で感情が溢れてしまって…。
いや、本当にとまりはスタッフに愛されているなぁと思いましたよ、最後にあれだけ盛り上げてもらえて。
その分やす菜の描き方に関しては、つくづくやす菜はスタッフに愛されていないなと思う次第です。素人目にもブラウン管を通して格差を感じてしまったのはどうかと。
しかしまあ、最後にやす菜の前にはずむが現れるシーンは結構好きです。
灰色の世界の中から人影が現れてそれがはずむの姿になり、世界が現れる…ってのはベタですけどまあ、そのくらいハッタリの利いた演出でないと、本当にとまりとのシーンに 完全に食われてしまいますから。
そう、やす菜にとって、はずむははずむそのものというだけの存在ではない。彼を通して他の人々とも少しは関われる、「世界への窓」としての役割を果たしているんですよね。
て、はずむと出会う前のやす菜が描かれていましたね。
つまり、はずむに世界そのものを期待している訳で、私としてはそれに関してふたつ気がかりが有ったりします。
ひとつは、その重圧にはずむがどこまで耐えられるかという事。はずむにも支えてくれる人が必要になるかもしれない。もしかしたらはずむはまた、それをとまりに求めるかも知れない。以前指摘した「依存の一方通行」の問題があるんですよね。
もう一つは、いつかやす菜が一人立ちする日がくるかもしれないと言う事。つまりはやす菜にとってはずむが「要らない人」になるかもしれない。そう、エンディング後のラストシーン。あの「はずむくん、あのね」です。
あのシーンは、DVDのみ収録予定の13話への引きだそうですが、私の予想としては…
「はずむくん、あのね、私、他に好きな人が出来たの」
「とまりちゃん、あのね、ぼく、やす菜ちゃんにふられちゃった」
じゃないかと思うんですが、いかがでございましょう。
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