2010年8月10日 (火)

無位の会・坐禅と般若心経の会参加(2010-08-08)

この日は喜春禅庵にて、第二日曜日恒例「坐禅と般若心経の会」に参加して参りました。ここしばらく猛暑が続いたせいかもしれませんが、今回は呼吸が短めにしか出来ませんでした。20分で50何回くらいでしたかね…。まあ汗が流れまくったのはいつも通りでしたが。
後で聞いた話ですが、和尚さんは夜も日課として坐禅をやっておられるそうですが、やっぱり大汗をかくから一日に何回も着替えないといけないそうです。

その後般若心経の解説がいつものようにありました。色々なお話があったのですが、特に興味深かったお話を幾つか…。
時々やれ「二時間座った」とかなんとか坐禅で座った長さを追求したり自慢したりする人がいますけど、徒に長くやるばかりが能ではない…、というようなお話がありました。まあ、確かにこういう事に必要以上にこだわり過ぎると、お釈迦さんも否定された「苦行への執着」になりかねませんからね。

それから盤珪禅師の「不生禅」は般若心経の「不生不滅」の一節を意識したものとの事。曰く「生じないものが滅することは出来ない。不生と不滅は同義反復だから不生だけで事足りる」との合理主義から来たらしいです。
また、今回は密教の「阿字本不生」についての解説もありました。 仏教のテーゼとして、万物は常に移り変わって一瞬も確かな存在ではないという考えつまり「無常」がありますが、その無常な姿の中に通底する真理がある。それをインド諸文字の潜在母音aに譬えたのが「阿字本不生」の教学だそうです。そして般若心経のいう「空」が、般若思想に於いて「阿字本不生」にあたる考えなのだとか。

そして茶礼では、最近話題になった育児放棄事件や高齢者の所在不明発覚問題、無縁死問題などに関連して、現代社会における社会的な繋がりの希薄化について色々と白熱した議論が戦わされました。いやいやいや、さすがに今回は法話後ティータイムなんて言える軽いものではなかったですね~。

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2010年7月19日 (月)

無位の会・十一面観音様と般若心経の会参加(2010-07-18)

毎月18日は観音さんのご縁日。という事で、第三日曜日でしたがこの日は喜春禅庵にて坐禅がありました。言い忘れていましたが、喜春禅庵さんの御本尊は十一面観音菩薩で、毎月18日には諷経(御本尊の前でお経を唱和する)があります。

当日行ってみるとなにやら三門の前でお坊さんの人だかりが…。ひょっとして観音さんにお経を上げるための助っ人として呼ばれたのかなと思ったのですが、後で聞いたお話によると、建仁寺からいらした修行僧で、休憩させてもらうために来られたのだとか。こういう時、お寺は修行僧の為にいわば「お接待」をするのが決まりらしいです。
まあ、この日は坐禅会と諷経があって応対が無理だからと丁重にお断りなさったそうですが。実は私、当日の午後からその建仁寺の塔頭の両足院での坐禅会にも参加予定だったんですね。建仁寺さんとはなんともご縁があるなと思いつつ坐禅会開始。

といっても参加者は私と和尚さんの二人だけ(苦笑)。なにこのタイマン状態…。坐禅中とにかく暑かったのは前回と同じ、まあ今回は眠くならなかったが。
あと、今回は臨済宗式の坐禅での座り方についてのご指導を受けました。座布団は、臨済宗式では大きな座布団の上に小さな座布団が乗っているのを使用します。この小さな座布団は腰の角度を固定する為の物で「座る」為の物ではないとの事。一度上体を前に倒して尾てい骨を後ろに出すようにしてから小さな座布団を挟み込んで腰を固定するのだそうです。こうすると背骨がゆるやかなsの字状になり、上体をまっすぐにしてかつ丹田が前に出るようになるそうです。

その後、御本尊諷経にも参加させて頂きました。
坐禅の一般参加は私だけでしたが、ここからは常連さんがふたり加わって少しにぎやかになりました…。御本尊諷経には以前にも参加したことがあるのですが、前回と唱えるお経が幾つか違ったのが興味深かった。回向文も手書きの奉書紙を読み上げたもののようでしたし、和尚さんの裁量である程度変えられる物のようです。

今回唱和したお経は、観音経・世尊偈、般若心経、消災呪、そして回向文は和尚さんが独唱してその後延命十句観音経、四弘誓願でした。消災呪は前回参加したときには唱えなかったので興味深く思いました。唱え方は普通に漢字一文字に木魚一打でしたが、経本によっては独特の節が付いているらしいものもあるんですが…。
その後お茶菓子を頂きつつお話…といっても今回はお経の唱和で一仕事でしたので、堅苦しい話は無し。ほぼ世間話に終始し、今週の坐禅会と御本尊諷経は無事終了いたしました。

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2010年7月11日 (日)

無位の会参加 (2010-07-11)

本日も、近所の禅寺・喜春禅庵で月に二回開催されている日曜午前の坐禅会「無位の会・坐禅と般若心経の集い」に参加して参りました。

時折激しい雨の降る中の坐禅となりました。今回は妙な夢は見ませんでしたが、坐禅中は不思議に暑かった。 座っている間とにかく暑くなり、汗が垂れてきて不快だったんですよ~。
坐禅をしていない時には特に暑くなかったのに、なぜだったんでしょ?

一時間ほど坐禅の後に法話。例によってメインの内容は般若心経の解説ですが、今回興味をひかれた内容としては、快楽原則に則って怠惰に過ごすことが必ずしも「自由」ではないというお話。それは「欲望に支配される不自由」ではないかという事ですね。

今回法話は結構長かったんですが、その後茶礼…というか、お茶菓子を頂きつつ世間話をする時間となりました。個人的には法話後ティータイムと呼んでいるんですが(笑)。
今回は雨宿りを兼ねてかなり長く話し込みましたね~。結構プライベートな話もあったので詳しくはここにはかけませんが、話題の中で気になったのがお葬式のこと。
ご存じの通り最近色々と批判されていますし、またそれに対する再反論も色々とされていますが、今回は「葬式の簡素化は逆に遺族の経済的負担を増す場合もある」という話題に…。
具体的にいうと香典の事ですね。参列者が沢山来て少しずつでもお金を出せば、遺族は葬式にかかった費用もいくらかは回収できるし、参列者もお金を出すという形で弔いに関われるので、悪いことでもない…って事。

あと、結婚式のお祝いより香典を出すべきだ、なんて話題も。
そもそもお幸せな状態の人が更に周囲からお金を取るのはいかがなものか。むしろ不幸な人にこそ援助が必要で、幸福な人こその幸福を周囲にお裾分けしろってお話です。私もなるほどと思いました…。昔は幸せのお裾分けをする「餅撒き」なんて習慣もあったらしいんですけどね~。

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2010年7月 5日 (月)

一週間前のお話ですが…

実はこの4月から、月に2回ほど近所の禅寺に通って坐禅を習っています。去年の暮れには入院もしまして、体を気づかうと共に少し心も鍛えたいなと思いまして…。
と、いっても私の通っている日曜午前のコースは、基本 ご近所のお年寄りが主な参加者で、あんまり本格的じゃないんですが、まあ、まずは坐禅を習慣づける事から始めようと思いまして…。

で、通い始めてはや2カ月半、そろそろ座ることにも慣れてきまして、力まずに呼吸が出来るようになりました。
ただ、慣れと共に「良い意味での」緊張感も無くなってきまして、先週の坐禅の時にはとにかく眠かった。前夜ちょっと寝るのが遅くなって寝不足気味だったのが大きな原因ですが、蒸し暑かったのも一因でした。
で、後半坐禅しながら半分夢を見てましたよ(汗々)。ええ、座っている右下にミミズの沢山入ったバケツと、左下に体育館シューズの詰まった下駄箱の幻覚が見えたんです。で、「夢を見るって事は、夢を見る状態つまり睡眠状態に頭が偏ってきているんだ」と思いまして、目を少し開けて覚醒側に意識を引き戻すと、消えました。

と、後になって思ったんですけど、これっていわゆる「魔境」ってやつじゃないでしょうか。禅についての本などにはよく載っているものですが、瞑想をしているときなどにはよく訳のわからない現象が起こるらしいです。お釈迦さんも悟りを開く直前に悪魔の誘惑を受けたそうですし、キリストにも同じ様な試練の話が伝わっています。
もちろん私がお釈迦さんなりキリストさんなりと同じ試練に逢って打ち勝ったのだ! なんて奢るつもりはありませんが、そのほんの一端には触れられたのかな~とは思います。

ちなみに私が通っているお寺「喜春禅庵」の公式サイトはこちらです。坐禅に興味のある方はご参考までに…。http://muinokai.or.jp/

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