「こども」とは、矛盾の混在と見つけたり
KBS京都 2007/10/12(Fri) 01:30-02:00(JST)
なんというか、各放送局でのネット(放送前)打ち切りやら何やらにまつわる世間での喧騒も一段落ついたようで。マイペースで感想始めるには良い頃かなという事で、もう4話まで放送済みですが、第1話の事をつらつらと…。
このお話しを見ての私の感想は、何より「なんだか久々にロリータを見たなぁ」ですね。ただ幼いとか可愛いとかでなしに、未成熟な肢体と悪女の色香という本来両立しないはずのものを併せ持つキマイラ的存在、或いは男心を惑わす魔性の少女といった所ですか。
で、冒頭に掲げた言葉のお話しなんですが、この作品のタイトルにある「こども」ってのは、アンバランスさの事なんでしょう。
この作品での一例を挙げれば、りんの、かつて前担任を自認に追いやった残酷さと自分の為に青木が死にそうになった(と思った)事に対して慟哭する脆さは矛盾して見えますが、しかし、そういう矛盾は人間なら大人とか子供とかを問わず抱えているものなんですよね。
そしてそれを隠さない事こそが、まさにこどもである事。
それが、大人になるに連れて、醜い部分を隠したりはみ出した部分を切り揃えたりして、外見だけでも取り繕えるようになる。
まあ、もちろんその分内部には色々とドロドロしたものが渦巻いていて、ひょんな事でそれが表に出たりする。よく、世間で事件を起こした人物を周囲の人が評して「とてもそんな事をする人には見えなかった」とかインタビューで答えてますが、そういう人たちは人間に対する洞察が足りないね、と思ってしまいます。取り繕った外見だけがその人の全てと思うなんて、見方が浅いよね。
「取り繕った外見」をまだ纏っていない子供というのは、だから大人にとっては危険に思える存在だったりします。
この作品での、過激なやり方で青木を誘惑するりんもまた、そういう取り繕っていない矛盾した子供を、よりわかりやすくキャラ付けして表したものと私は解釈しています。
まあ、その過激さが一部放送局で問題視されて…という事なんですが。 どうもねえ、クレーム対策で時期的にギリギリになって基準を左右させる放送局ってのも定見ないなあと私は思うんですよ。以前、『七人のナナ』の時にも、キャラクターデザインの人が「よくギリギリになって放送局から作画にクレームがついて制作が大変だった」なんて愚痴ってらしたのを思い出しました。
- 矛盾を抱え込んだ大人は、子供から見れば危険な部分を「隠し持っている」と見える。
- 矛盾を隠さない子供は、大人から見れば「触れれば切れる危ない刃物」と見える。
そんな相互不信の構図がこの作品の背景にあると、私は見ました。りん達は、前担任とのこじれ切った関係を清算できないまま、期待と不信というこれまた矛盾した思いで青木を迎え、そして物語は始まった。
この構図を超え出る為に、青木は一段上の意味での「おとな」にならないといけない。それが物語の縦糸になるんだろうな…。
あと、個人的に残念だったのは、美々の出番はもう少し後にした方が良かったのではという事。りんと黒の根回しがあったとはいえ、不登校にまで陥っていた美々がいきなり青木と打ち解けてしまうのも急ぎ過ぎですね。
第一話ではまだ、りん達の「危険な面」のみを描いておいて、「実はそれには事情があった」という種明かしは第二話に回した方が、よりどんでん返しの醍醐味が味わえたはずなのですが…。
ともあれ、今後の展開なかなか楽しみです。
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