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2006年3月23日 (木)

西遊記 最終巻(第11話) 「天竺」

新聞掲載時サブタイトル 「天竺! 愛と勇気と感動の最終回!! 未来へ」
関西テレビ 2006/03/20(Mon) 21:00-22:24(JST)

えっと、取り敢えず新聞掲載時サブタイトルに言いたいのは、「愛」とか「感動」とか自分で言うのは見てるこっちが恥ずかしくなるのでやめて欲しかったです。まあ、今に始まった事ではないんですけど、最終回という事で、最後に言いたい事を言わせて頂きました。

まず、見終わって一番強く思ったのは、一クールにも満たない話数なのに、天竺にたどり着いたばかりか長安まで帰ってしまった事に驚きました。
昔から「日本の西遊記は天竺にたどり着けない」というジンクスが有るんですが、短い尺の中で天竺到着を実現した心意気は素直に褒めたいと思います。

妖怪の身故天竺に入れない悟空たちは、三蔵ひとりを天竺大雷音寺に送ります。
が、三蔵が大雷音寺で見たものは、民衆を救済する使命を忘れ、彼らを見下す高僧たちの姿でした。

私、てっきりここは原作の小雷音寺みたいな偽天竺かと思ったら老子までいて、本当にここが天竺だった、というのには正直驚きました。

ここで三蔵は、三ヶ月の苦行の末に肉体を経巻に変えるという、外道というか黒魔術そのものの儀式を命じられます。

結局三蔵は、悟空たちに諭されて大雷音寺を脱出しようとします。その途中、一時僧たちに捕まるのですが、その時三蔵が、使命を忘れた高僧たちに向かって「馬鹿者」と言った時にはさすがに「よ~言うた!」と思いましたよ。

伽藍に閉じこもり、民衆を救済するという使命を忘れて形式化するというのは、残念ながら宗教の歴史の中では繰り返されてきた事です。
しかしながらそれを批判する改革派が現れてそのたびに再生するというのもまた、宗教の歴史だったりします。教学論議に明け暮れて小乗化した上座部への批判から大乗仏教が生まれた事しかり、教条主義に堕したユダヤ教への批判からキリスト教が生まれた事しかり。

そんな彼らを迎え入れた謎の男(演じるは堺正章!!)。彼の正体はなんと釈迦。彼は三蔵に経典を渡します。
この時、『モンキーマジック』をBGMに釈迦が如意棒を見事に回した時にはさすがに嬉しかったです。ああ、私もやっぱりそういう世代なんだなと実感(苦笑)。

で、一同は無事長安まで経典を持ち帰る訳ですが…。
ラストシーンでなんと、経典が白紙になってしまいました。釈迦が何者かに誘拐され、その力が消えた為だとか…。どうも先の三蔵が肉体を経巻に変える儀式といい、このお話のお経というのは、単なる文書ではなく、なにか呪術的なアイテムらしいですね。

実際「お経で世の人々が救われる」という考え方は、今の日本ではなかなか共感されない事でして、これをどうするかが、実は日本で『西遊記』を映像化する時の一大課題なんですよね。
だからこの「お経をマジカルアイテムとして描く」っていうのは良いアイディアと思います。思いますけど、やっぱりいつか、より原作に忠実な西遊記も見たいな~とも思う訳でして。

そうそう、お経が白紙になっていたので天竺に引き返す、という話は原作にもあります。
三蔵が贈り物をしなかった事に腹を立てて、阿難と迦葉が偽物の経典を渡したんですね。この二人も釈迦十大弟子の二人なんですが。まあ、やはり天竺の高僧は堕落していた…という事で。

さて、今回が一応最終回ですが、来週もう一回「スペシャル」が有るそうです。さて、どうなる事か。全体の総括は、その感想とまとめてやりたいと思います。

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コメント

>Peehyoro Acalaさん、こんにちわ。
TB&コメント、いつもありがとうございます。

>伽藍に閉じこもり、民衆を救済するという使命を忘れて形式化するというのは、残念ながら宗教の歴史の中では繰り返されてきた事です。
 そう観ると、天竺と三蔵の討論は『大乗vs.小乗』とも取ることができるのかもしれませんね。

>本当にここが天竺だった
 『天竺が腐ってる』というのには、私もびっくりしました。
 あんな設定をぶちかましてしまうスタッフの勇気には感服です。
 ただその分、ラストにカタルシスを感じさせるシーンが欲しかったです(苦笑)。

投稿: Urara | 2006年3月25日 (土) 07:31

Urara様どうもです。
実際、あの高僧たちの姿は、
典型的な「大乗仏教が批判する小乗仏教」の姿なんですよね~。
どこかからかクレームがつかない事を祈ります。
最近のテレビって、そういうのを異様に恐れて、
ある種萎縮しているとすら言えますから。

私としては特に「カタルシスが欲しい」とは思わなかったんですが、
それは私が「宗教なんてそんな物」と思っているせいでしょうか(苦笑)。

投稿: Peehyoro Acala | 2006年3月26日 (日) 23:15

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─汝、死の儀礼を持って、経典へと転生せよ─ その言葉を彼は静粛に受け止めた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第十一話(SPが終わるまでは、第十一話と思っています)の感想、まずは大雷音寺の考察とイ...... [続きを読む]

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